子供の不登校&親のノイローゼが治った! うつ母親の体験談ブログ

母親の私のノイローゼ、うつ病とパニック障害、その原因となった息子の不登校や神経症の気狂い体験記と克服経験 当サイトの文章について 私「まざーぴえろ」のノイローゼ体験記と回想記です。当時の地獄のような心境と心情を中心につづっています。 つたない文章ですが最後まで読みきって下さい。 途中までは私の苦しみが綴られて、最後は悩みが解消することが書かれてあります。 現在の子供のひきこもり問題、不登校問題でお悩みの人は読むことがつらいところもありますが、希望を感じ取っていただけたら嬉しいです。 また私自身のパニック障害、うつ病克服の体験談でもあります。 子供の不登校でお困りになって、うつ病やノイローゼ状態、自律神経失調症などになっている親御さんに捧げます

2019ねんいちがつ

プロフィール

  • 私の名前は『まざーぴえろ』
  • 生まれ 横浜出身 ♀
  • 現在、夫と私、息子の3人家族(関西在住)
  • 息子の不登校問題でパニック障害と抑うつ状態、自律神経失調症に苦しめられる

私のノイローゼ、神経症症状(息子の不登校問題とのダブルパンチでした)

・パニック障害、過呼吸
・うつ病、ノイローゼ
・自律神経失調症

息子のこと

  • 息子が中学1年から3年まで不登校とひきこもり状態(+神経症・対人恐怖・抑鬱状態)に

子供の具体的症状・神経症(かつて)

  • 不登校

  • ひきこもり

  • 他人と普通にコミュニケーションがとれない

  • いつも下を向いて、人の顔を見ようとしない

  • 人の目を見て話すことに恐怖を覚える

  • 私としか話さない。人間不信のかたまり

  • ガチガチに体が固まっている

  • 劣等感の固まり

  • 将来を考えていない

  • テレビゲーム三昧で四六時中やっている。ゲーム依存症

  • 人間嫌い・対人恐怖気味(社会不安障害)

  • 抑鬱状態

  • 失語症に近い状態

  • etc

当サイトの文章について

  • 私「まざーぴえろ」のノイローゼ体験記と回想記です。当時の地獄のような心境と心情を中心につづっています。
  • つたない文章ですが最後まで読みきって下さい。 途中までは私の苦しみが綴られて、最後は悩みが解消することが書かれてあります。
  • 現在の子供のひきこもり問題、不登校問題でお悩みの人は読むことがつらいところもありますが、希望を感じ取っていただけたら嬉しいです。
  • また私自身のパニック障害、うつ病克服の体験談でもあります。
  • 子供の不登校でお困りになって、うつ病やノイローゼ状態、自律神経失調症などになっている親御さんに捧げます
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それではこちらのメニューからどうぞ(上から順番にどうぞ)

 

子供のひきこもりや不登校問題を抱える親たちの体験談
自身のパニック障害やうつ病やノイローゼや自律神経失調症で苦しんだ方のリンク集です
どれも貴重な克服体験談です
参考になることばかりですので、ぜひ目を通してみてください

(^o^)/ 不登校プログラム(不登校/ひきこもり克服プログラム・親子関係悩み解消・不登校親支援プログラム) オフィシャルサイト

岩波先生の親向けの不登校問題解決のためのプログラム(子供が受けるプログラムは完全に締め切っています)
親が変わることで子供に良い影響を与えるプログラムしかありません。
しかしどれも岩波先生の根本から問題解決できる腕があるため、子供のためにも、親の人生のためにもプラスにならないはずがありません!

(^o^)/ 不登校/ひきこもり克服プログラム(親子関係悩み解消・不登校親支援プログラム)関連サイトを集めたリンク集

(^o^) 不倒翁(おきあがりこぼし)うつからの再生
男性の鬱病とノイローゼの経験談です。うつ病に陥っていく苦しみと克服への家庭を書いています。是非訪れてください。


(^o^) 不登校・ひきこもりと家庭崩壊の危機と克服体験
タカシといいます。私の子供のひきこもり・不登校問題で家庭が崩壊する危機を迎えていく惨状とこちらの方と同じく岩波先生のおかげで助かったことなど


(^o^) ひきこもり・社会的不登校の親 過去・現在・未来
昔掲載していたブログと今の心境のブログ(ひきこもり・社会的不登校問題、抑うつ、不眠症など)を同時に掲載しています。お子さんも神経症から脱出し、一生懸命働いているようです。よかった。


(^o^) 不登校・ひきこもり克服 保護者の集い
不登校問題とひきこもり問題を克服させることができた親が集って管理しているサイトです。ぜひ訪れてください(マツナミ)


(^o^) アベルの不登校漂流および脱出記
アベルといいます。僕の中学高校の不登校やひきこもりのつらさや心境、漂流記録です。また脱出記もありますので、併せてどうぞ


(^o^) プレミアセラピー体験記と鬱とパニックの手記
会社経営者の方の突然のうつ病とパニック障害におちいったことの手記。そして岩波先生の神経症克服プログラムとの出会い(まざーぴえろ)


(^o^) 肉親から見た不登校・引きこもり・リストカット そして神経症
タイトルの通りの内容です。ご夫婦が子供たちの心の問題(神経症的不登校やリストカット)に心を砕き、見事立ち直らせた記録があります


(^o^) アメ子's 海外転校不登校体験記
アメ子さんの中学生の子供の不登校体験記。親は子供にどう向き合うべきか、体験記、不登校/ひきこもり克服プログラムの感想など(まざーぴえろ)


(^o^) 日本一の不登校・ひきこもり情報サイト
ひきこもりや不登校の体験記、関連サイトを集めた総合サイト

(^o^) AC内科医の自律神経健康ブログ 精神的ストレスによる病気の治し方


(^o^) 
家族の鬱病治った体験談
    うつ病になった息子さんの闘病克服の記録


(^o^) 
パニプニ! パニック障害克服ブログ
    岩波先生のプログラムでパニック障害を克服したパニプニさんのブログ


(^o^) 
海外うつ病生活からの治療回復

    海外でストレスの末うつ病になり、海外から先生のプログラムを受けた方の体験談


岩波英知先生の神経症克服プログラム・不登校・ひきこもり克服プログラム関連サイト集
岩波先生の不登校・ひきこもり克服プログラムや神経症克服プログラムの体験記
や悩み克服方法などが載ったページのサイト集

 

(^o^) 不登校克服プログラム  ひきこもり克服プログラム  神経症克服プログラム(岩波先生のプログラム) 
       私と子供がお世話になった克服プログラム、心理脳内プログラム、カウンセリング、コーチングです(まざーぴえろ)

 

自分の子供が怖い、わからない…

息子が怖かった。あのひきこもりに一家が悩んでいたとき、何かしでかしてしまうんじゃないか? 私や夫に刃が向くんじゃないか? 精神が狂ってしまうんじゃないか? 常に怯えていました。その恐怖に加えて、私自身が抑鬱状態になり、心がやられてしまうという恐れもありました。
いつまで経っても解決しない息子の問題、私のノイローゼも次第にひどくなり、交感神経優位になったのか過呼吸も始まりました。
息苦しさや倦怠感、めまいもひどく、将来のことを考えても憂鬱なことばかりでした。
このままうつ病になってしまうのではないかと怯えてもいました。

息子の不登校と心の問題によって、身も心もぼろぼろになってしまい、一家心中、もしくは母子で死ぬしかないとまで思い詰めたこともありました。それが一番の幸せだと思うほどでした。
いま思い返してもかなりの修羅場だったと思います。
親子といえども、愛情の歯車が狂うとそこまで追いつめられてしまいますので、お読みになっている方々もくれぐれもご注意下さい。

また私はパニック障害とうつ病になりました。もともとそうなってしまうベースがあったと思いますが、息子の尽きることのない不登校の問題と出口が見えない状況の中で、息子以上に私がノイローゼとなってしまいました。息子が頼れるのは母親になります。先にうつ病でダウンなさらないように、ご自身の心身を維持管理してください。茨の道ですが、やらなければならないことです。

親が、特に母親が潰れてしまったら、誰が子供のことを気遣ってやれるのでしょうか?(気遣いすぎも逆効果ですが) 私がうつ病で身動きが取れなくなったら、子供はさらに精神を病んでいくでしょう。そうなったらいつか一人で生きなければならない時それも不可能となって、親の世話になってしまいます。
そうなったら、その一家に明るい生活が到来するのでしょうか?

○息子の不登校状況と夫婦の諍い

ずっと愛をもって育ててきましたが、息子はその気持ちを受け取ってくれたかは不明でした。
夫、つまり息子の父親と息子は傍目で見ていてもそりが合わず、息子の方から話しかけることはありませんでした。
父子とはそういうものかなと思っていたんですが(私にはべったりの甘えん坊でした)、学校でも他人とはうち解けられなく、浮いた存在だったそうです。
仲の良い友達とはよく話しもするし、子供らしい面を見せますが、大人にはかなりの警戒感を持っていたようです。

夫と私も実はずっと仲が良くなく、激しく口げんかをするということもありました。夫婦仲は険悪でしたから、私には誰も頼れる人がいませんでした。その孤独も辛かったです。
私がヒステリーを起こして、夫が暴力で返し、私がさらに気が狂ったようにやり返すということも幼い息子に大きな影響を与えたとおもうと後悔しています。夫婦仲の諍いは確実に子供の心を病ませていきます。
子供に刃が向かなくても、父親と母親がいがみ合っていたら、子供は自分を存在肯定できませんから。自分にどうやって自信をもてと教えら得るのでしょうか?


○学校のいじめや人間関係で傷つき登校拒否になる

直接的に息子が登校拒否になったのは中学一年生の時のいじめでした。もともと周囲となじめない存在のようでしたが、人間全体に対して不信感を持つようになっていました。あとは仲を良くしてくれたB君が傷ついたことを言ったことと、息子の感情を無視した担任の無責任さが決定打となりました。
そして自力での回復不能にまで傷ついて、グロッキー状態になってしまいました。
今思えば人間不信にならないわけがないですし、家庭状況と学校の両方の板挟みになって、心が荒れたりうつ状態になってしまうのはしょうがないことでした。

そんな時私は精神的に支えてやれませんでした。私を心配させないように気を使ったのか、はっきりと言ってくれませんでした。しかし今思い返すと、しっかりとサインを出していたと思います。
私自身も余裕がありませんでした。息子のことは気にかけていましたが、私も精神的にストレスが多い状況でした。私の生きづらさが子供の心を病ませていたことも間違いありません。

○子供を登校させる苦労と精神的ストレスの付与

息子の不登校に対して、夫は時間が解決するようなことを言って、たかをくくっていました。
その無責任さに腹が立ったとともに、なんとかして息子に遅れをとらせてはいけないと学校に通わせ続けました。ここで休むという蜜の味を知ったら、とても社会に出てやっていかないと思いました。勉強だけはさせておかないと潰しが効かないまま、社会不適合者になる可能性が高かったからです。

心を鬼にして叱ったり、家に入れない、といって嫌がる息子を朝送り出すことは重労働でたまらなかった。
朝の登校戦争が終わると、ぐったりしてもう家事も何もできなくなりましたが、そのあともっとひどい憂鬱になるとはそのときは考えもしませんでした。私のうつ病の兆候も過呼吸や息苦しさというパニック障害の前段階も始まっていたのです。

子供には過度のストレスの負荷をかけてしまいました。子供は精一杯戦っていたのです。一人で孤独に。しかし私達にはしっかり学校にめげずに通うことが、最大の正義であり愛情だと思っていました。あとできっと感謝されるとすら思っていました。しかし神経症状態だった子供が、生きたくなくてただサボっていたわけではなく、ギリギリいっぱいだったとは浅はかな知恵しかない母親でした。


○私のうつ病の前段階:抑うつ状態の兆候

生きるのがしんどいと感じ始めました。夫婦仲の悪さや息子の不登校問題のせいで・・・・自分の問題じゃないだけにどうにもしてやることができず、私は自分の無力感を呪いました。こんなに人の心を変えるって難しいんだと思い知りました。
息子は学校から帰ってくるとすぐ部屋に閉じこもるようになり、夜9時の晩ご飯まで降りてきませんでした。

溝が生まれたと感じつつも、翌朝からはまた同じ戦争の繰り返し。
息子の学校に行きたくない言い訳に腹が立ちつつ(腹痛だとか、今日は学校が休みという嘘など)そのあとは疲れがどっと押し寄せる日々。
夫は私の苦しみを全くわかろうとせず、家事がおろそかになっているのを見て叱りつける。
離婚を決意しつつも今夫と別れたらこの子をどうやって育てようかお先真っ暗状態でした。

感情の抑圧がたまり、鬱憤がたまり、誰にも相談できず、はけ口すら見つけ出せず、このころから体のだるさが出始めました。うつ病や神経症の初期段階だったと思います。
抑うつ状態も徐々に始まりました。まだそのころは抗うつ剤、精神安定剤には頼っていませんでしたが、得体の知れない私の心の疲れにも不安を覚える日々を送っていました。もうこの頃には自律神経系が壊れていたのだと思います。パニック障害にもなってしまうのは時間の問題でした。

ノイローゼになると、ますます子供の精神状態まで気を回せる余裕がなくなります。そしてさらに子供が殻に閉じこもる構図に入りました。多くの家庭で起こる流れです。

○母子そろってサザエさん症候群に、過呼吸というパニック障害の兆候も

金曜日(学校から帰った後)や土曜日は息子は元気ではないものの、ホッとしたところがあるようでした。
でも月曜日が翌日に控える日曜日(特に暗くなる頃)から急激に心がふさぎ始めました。
サザエさん症候群というものを遙かに強くしたものといったら、理解できる方もいると思います。

私も金曜日の午後から土曜日は気分が良かったです。
日曜日になると明日の朝のことを考え憂鬱でした。
私も立派なサザエさん症候群でした。

すべてを捨てて一人でいたい、しかしそれは絶対に許されない状況で私のノイローゼは次第に悪化していきます。
過呼吸も始まりました。パニック障害の兆候です。息苦しさ、動悸、めまいもあり、ただ生きているだけでひどい苦しみようでした。


○子供の不登校がついに完全に始まる

ついに私が先に根負けしました。息子の不登校が完全に決定されました。
なんでそこまで中学校に行きたくないのか聞いてみても息子はうんともすんとも応えません。
学校の話題になると急にふさぎ込みました。そうなると私にはもうどうにもできません。心をシャットダウンしてしまうのです。

それ以外では私に甘え、いつもべったりでした。よく話もするのに、どうしてこの子が?と不思議に思いました。
ほっんと人間の心は複雑怪奇ですね。
それに日々の精神的な疲れで、相手の心を思いやり汲み取る余裕もなかったので、ますます息子の心がわからなくなってしまいました。

○子供の不登校でスクールカウンセラーに相談

スクールカウンセラーに息子を連れて相談しに行きました。そのときに表面的ですが学校に行きたくない理由がわかりました。
私だってそういう時があったし、対人関係のいざこざはありました。でもそれでも学校に通ったし、それなりに楽しかったです。

苦しいことばかり避けていては、絶対いい思いは出来ないと思います。それは私の信念でしたし、当然息子にもわかってもらいたかった。
でも私の力不足でできなかったことに後悔をしました。息子は自分の未来をどう考えているのか? 腹が立ったり、むなしくなったり、情けなく思いました。


○不登校の原因の一つとなった担任について

中学一年生の担任がよく不登校中の息子を訪れました。熱心でとても親切だったが、息子は苦手にしていました。
担任が訪れる玄関のチャイムが鳴ると部屋に閉じこもってしまうのです。あんないい先生なのに何で? 不思議にも思いましたが、理由を知ったのはかなり後です。

いつか息子が話してくれたことがあります。「あの先生は自分のためにやっている」と。そのときはわかりませんでしたが、自分のクラスから不登校児が出るのが嫌で、こうして家に押しかけているんだという意味です。
自分だけのエゴイズムで動いている、ということを息子は言っていたのです。表面上、そうやって家庭を訪問することで、熱心なすばらしい先生というレッテルを貼りたいんだと。

その担任は自分勝手な論理を振りかざし、私も次第に嫌いになっていきました。私は彼に怒られました。
私のせいだと暗に言われ、それがある部分では当たっていることで、私は何にも反論できず、悔しい思いをしました。あんなに腹が立ったときはありませんでした。
「あなたが担任である以上、こちらから学校に通わせません」と言いました。それを息子は閉じこもっている部屋で聞いていました。私を見直したそうです。

それならチャンスは中学2年生にあがるとき、と思いました。(当時その担任が息子にひどい言葉を放ったことは私は知りませんでしたし、息子も言おうとはしませんでした)

<まだまだ続きます。ここまでお読みいただきありがとうございます>

(NEXT)親から見たひきこもり、不登校回想記 そして私のノイローゼ act2

○ 精神科と薬物療法 

鬱病になっていた私は必死でやっていた家事もままならなくなり、夫に叱られた。平手打ちを食らわせられたこともあります。たるんでると言われました。
お前は息子に何も言う資格はないとも言われたその言葉は私の心を大きくえぐりました。

精一杯頑張ったからこうなってしまったんだ、そう言い返したかったけれど、そんな元気は残っていなかった。うつ病は私の気力まで奪い去っていたのでした。ただただ耐えるだけの人生・・・・・
私が通っていた精神科の医者に見切りをつけ、違うところに通い始めました。人間的に嫌いだったからです。こんな精神科医の先生に任せられないという不信感がありました。

医者(というよりも精神医学界)全体に不信感を持ち始めたのもこのころでした。次に通った医者は、子供の不登校問題、ひきこもり問題が解決しない限り、うつ病もパニック障害も治らないときっぱりと言われました。

ただ薬を出してまぎらわせるしか道はありませんでした。パニック障害とうつ病にすごく効果がある薬と言われ、それを服用していました。

○ 子供に向精神薬、抗うつ薬を飲ませるのは反対

医者は息子に抗うつ剤を飲ませることも考えた方がいいと言われました。中学生に抗うつ剤を飲ませたらどうなるんだろうと私は恐ろしくなりました。私自身飲んでいたため、その薬の強さと副作用も知っていたためです。 あのだるさや眠気、思考能力の低下が息子も味わうことになるのだろうか? それとも運良く効くのか。

でも薬を飲ませることは思いとどまりました。この判断はすごく良かったと思います。インフルエンザの薬で中学生以下に飲ませてはいけない薬があるように(錯乱してしまうため)、もっと強い抗うつ剤では、かなり心身ともに負担をかけるだろうと思ったからです。 薬は対症療法で、問題の解決を先延ばしにするだけだったため、私の判断は正しかったと経験上思います。

向精神薬というものは、風邪薬などの肉体的な病気の薬と一緒にしたらいけません。そして精神科は内科・胃腸科、外科などといった一般的な病院とは、全く一線を画するものです。別物だと思ったほうがいいです。お医者さんが出すから安全だということは、このことに関してはないのです(私個人の感想です、あしからず)

○ うつ病悪化とパニック障害の狂いそうな苦しみ、世間の眼

子供の不登校からのひきこもり問題だけでも苦しいのに、うつ病という苦しさ、過呼吸、パニック障害という苦しさも単体で私を襲いました。
落ち込み、パニック発作への未来への恐怖が加わり、夫のプレッシャー、近所からの見下しの眼、憐れみの眼、同情の眼もあり、逃げ場がなかったです。子供のためにも何とかうつ病から脱しようと思いましたが、どうしても気持ちがついてきません(だからうつ病なのですが)
このときが一番苦しかったです。

近所の主婦たちも私のしつけの失敗を暗に匂わせたり、私も人間不信に陥ってしまいました。息子と同じ状況になりました。
でも結局原因は息子なのだ・・・・。死のうと何度思ったことでしょう。

自分自身の心理的問題であるパニック障害もうつ病も治らない。息子も神経症もこれじゃあ治るわけがない、その考えに支配されました。

○ 合宿形式の不登校児受け入れ施設

あきれ果てた夫が私を別の精神科に連れていきました。うつ病患者の気持ちがよくわかってくれる方で、まだいい医者でした。たまたま効いたのか抗うつ剤を飲んで死にたい衝動も少なくなりました。
と同時にアドバイスを受けて、子供を合宿形式の不登校支援施設(フリースクール)に預けた方がいいと言われました。

もう私がいっぱいいっぱいだった。
何でそれを考えなかったんだろうと思った(たぶん息子を手放してはいけないという私のきまじめな感情があったのです)。

いいアイデアだと喜びの感情が久々に芽生えました。長野県の山奥にある全寮制の不登校受け入れ施設で、少なくとも数ヶ月は息子と別れられる。
施設の人が息子を連れて行ってくれた後は久々に私に平穏が訪れました。ちょっと一息つけたのか私のうつ病もパニック障害の発作度合いもだいぶ回復していきました。
ただし過呼吸だけは良くなりません。過換気症候群といって、癖になっていたのです。

とにかく家に平和が訪れた、つかの間の……

○ 再びうつ病が悪化、過呼吸もひどくなり、パニック障害も強くなる

3ヶ月目の時、私のうつ病もパニック障害も一気に重くなりました。それまでせき止めていた物が、崩れ去ったような感じ。

ありがたいことに遠くに住んでいた妹が助けに来てくれました。この妹がいなかったら、私の人生はなかったと思います。
でも哀しいことに『遠くにいる親戚』だった。結局は私一人の孤独な闘いなのです。

「でも、なんでうつ病もパニックも悪化したの?」と私は不思議でした。息子は今家にいないのに・・・・。
今思うと、「息子がいなくなって良かった」と思っていたことへの疑問が生まれたときに一気に落ち込んでしまいました。

そんなことを思っていいのかしら? 罪の意識にさいなまれたときだから、間違いありません。
ますます死にたくなってしまいました。でも、私がいなくなれば、あの子はどうなるの? 責任感だけが私の生への命綱でした。
私も生真面目すぎて、うつ病になって当然だったように思えました。思い詰めてしまうのは子供も私も全く同じです。

○ 新しい展開、やっと出会えた人 

施設での預かり期間も終わってしまいました。それ以上預けていても、息子は変わらないし、私も精神状態も良くならないままだったから結局は良かったことだと思います。
でも、またあの地獄が待っていると思うと希望なんかなかったです。

延長を希望しようとしても、他の待っている不登校問題を抱える子供たちがいるから不可能だったし。
息子の様子はたくましくなったところもありました。でも根本的に生きることへの自信の喪失と絶望感は変わっていませんでした。
精神的な問題の根深さを改めて思い知りました。 
施設側も精一杯努力してくれました。 ただ心理面でのバックアップに関しては、やっぱり専門家に及ばないところもあったでしょう。

そこの施設のカウンセラーに私は泣きながら言いました。「誰かいい人を紹介してください!」。いい答えは期待していなかったけれど、カウンセラーの方はツテをたどってある人を紹介してくれた。これはそのカウンセラーが個人的にしてくれて、ほんとうにありがたいことでした(知り合いの知り合いだそうです)。

紹介された先生の名前は岩波先生という心理・脳内コンサルタントで、岩波先生との出会いが、母子の未来を明るくするきっかけになりました。
天才・鬼才と絶賛されている方です。何が天才・鬼才なのかというと、人間の脳内深く、いわゆる無意識・潜在意識からの問題解決の能力とその技術を開発しているからです。

岩波先生のプログラムには、地位の高い方や海外から大勢やってくるほどの人気と評判の高さがあります。私が読んで感動した書籍も出しています。
藁をもつかむ感じで、でも希望を感じつつ、そしてやっぱり不安になりながらも、岩波先生と電話で話しました。(まずは親向け岩波の言葉・講演集をお読みください)

その前に息子のことを書かなければなりません。不登校・ひきこもり支援施設に数ヶ月間入れられたことを怒っていたと思います。言葉では出さないけれど明らかにわかりました。少しはたくましくなれたかな、と思う以上に、いや遙かに心を閉ざしてしまったことの方が大きかったです。つまり失敗でした。

<まだまだ続きます。あと一歩です>

(NEXT)岩波先生の不登校/ひきこもり克服プログラム  神経症克服プログラムを受けて

 

○ 不登校の子供に堪忍袋の緒が切れる

最初の2日だけ息子は通いましたが、すぐ不登校になりました。理由を問いつめるにも息子は下をうつむくばかりでした。ムスッとした表情で・・・
「どうしてわかってくれないの!」「がまんしなさい!」私の堪忍袋の緒が切れました。私もノイローゼ状態で一杯一杯でしたから全く余裕がありませんでした。

それまでは怒鳴りつけるのは良くないと思って、ある一線を越えることを注意していましたが、私は鬼婆に形相も心もなりました。つまりヒステリー状態です。
「出て行きなさい!」と最後にいいました。そのとき言ってはならないことを言ってしまったなと思いましたが、あのとき息子が本当に家を飛び出したら、まだ救いがあったかもしれません。

でも息子は動こうとはしませんでした。一個の巌といった感じで固まってしまいました。ぼろぼろ涙を流し、下をうつむき、床の一点を凝視していました。
握った拳が震え、口をぎゅっとかみしめていました。 私がそれ以上何か厳しいことを言ったら、母子関係の絆が壊れてしまう、そう確信しました。

つまり子供が母親に暴力以上のことを加える一線を越えてしまうこと、その瞬間、異常な恐怖を覚えました。走馬燈のように世間の母子間の殺人症が事件のことが駆けめぐったと思います。そのときは私も心が錯乱していて、よく思い出せませんが、身のすくむ恐怖感だけは思い出すだけでもぞっとします。私も精神的に追い詰められていました。完全にノイローゼ状態です。

あくまでこれは私の勝手な心境です。 そのときの息子の心境はわかりません。そこまで精神的にギリギリの状態になっていたことを汲み取ってもらえればと思います。最愛の子供に刺される、殴られる、殺されることほど悲劇的なことはありません。

○ 私の精神状態がギリギリに

二度目も私が息子に負けました。もう後戻りできないところまできてしまったと途方に暮れました。
スクールカウンセラーのアドバイスはどれもあたりさわりのないものばかりで、別のカウンセリングルームに相談するようにしました。
息子はやっぱり嫌がり、その頃からひきこもり生活も始まったのです。

どんどん事態が悪化している無力感と将来への絶望で、私にはもう安らげる時間はありませんでした。子供の不登校、夫婦仲の悪さ、将来への不安、私自身の心身症やうつやパニック兆候…
はやくここから脱出したいと思い始めました。
子供のことだけに100%頭が支配され、友達に旅行やショッピングに誘われても断らざるを得ませんでした。

若い頃はよく遊び、旅行にも行き、心の鬱憤を発散することに長けていた人間ですが、今は抑圧ばかりをためる人生になっていました。
早くこの家から出たい、ギリギリの神経状態から抜け出したい、ホッとしたい! 
それらが できなかったのは、息子が私が長時間家にいないとものすごく不機嫌になったからです。夕食の買い物が一番長い私の外出でした。
私に家にいてもらいたいくせに、家では心を開かない。

○ 子供や夫の問題関係なしに常に苦しくなる

腹が立ってどうしようもないときもありましたがが、「ある一線」を越えて叱りつける恐怖もありました。
暴発するタイプだとカウンセラーからも聞かされていただけに・・・・。でも私が暴発しそうでした。
そのはけ口は夫に向かいました。夫がいないときは物に当たりました。
もうキチ○イになりそうでした。あの子はつらいことから避けて、ただテレビゲームをやって、勉強もしないで生きていればいい、親に養ってもらってのうのうと暮らせばいい、その人生の不条理といったらありません。

私のパニック障害(過呼吸が頻繁に激しくなっていった)とうつ病一歩手前の抑うつ状態の中で、私も心もグロッキー状態になっていきます。息子がいなくても、勝手に自動的に私の心はきしんだ音を立てて私を苦しめるようになりました。私の絶望感は次第に激しくなっていきました。

○ フリースクールでの絶望

私はあの子を養わなければならない。将来、困ったことがないようにお金を貯めなければならない。
そのためにも夫とは別れられないし、息子の面倒を見なければいけない。

その重圧は日々私の心をむしばんでいきました。生き地獄というのはこのことを言うんだなと思うと、私の人生って何だろうとなります。
鬱病にもうはまっていたでしょう。とりあえず息子をフリースクールに通わせることになりました。

もちろん息子は嫌がりはしましたが、そのときは結局いざこざもないまま通ってくれるようになりました。フリースクールに通ってくれて、私の神経症も幾分和らいでくれました。息子のいないときだけが私のホッとできる時間で、過呼吸も少なくなってくれました。
精神科(心療内科)に行って薬をもらおうとしていたのを思いとどまるぐらいにはなりましたね。

でも息子の様子はいっこうに変わりません。フリースクールの先生や職員も困っているようでした(実際どうかわかりません)。
「ああ、、ここでもだめか」と絶望を感じました。
誰に話しかけられても、言葉で返しもしないし、下をずっと向いたまま反応すらしません。
困り切ったフリースクールの人から、「ここではちょっと・・・・他になにか探されたら・・・・」とさじを投げる言葉を暗に言われました。
絶望感にうちひしがれました。夫は「困ったな」と言っただけで、それ以上何も言いませんでした。

私にほとんど負担を押しつけて、この不登校問題、ひきこもり問題から避けようとする夫の言動が私は苦しめたのは言うまでもありません。
ちょっとのことでも気が立っていたのは間違いないようです。私はすでに病んでいました。

ほっとする時間も次第になくなり、比例するように過呼吸と息苦しさ、何をしても楽しめない抑うつ状態が悪化しました。

○ 抑うつ状態がますますひどく

このままで私が先に潰れると自己防衛本能がある夜、急に私を襲いました。恐怖感と一緒に。
目が覚めたとき寝汗で信じられないくらいの汗をじっとりとかいていました。後にも先にもそれだけです。
そのころはもう完全に不眠症でした。精神科に通い始め、精神安定剤や抗うつ剤や睡眠導入剤を処方してもらうようになりました。

私の唯一の幸せは昼寝をすること。起きるとつらい現実が待っている。
ついに精神安定剤に逃避するようになりました。

時々息子を叱りつけることもありましたが、ぎりぎりセーブして一線を越えないようにしながらなので、抑圧と鬱憤はたまる一方でした。
もう感情すべてを全開で発散できたら、まだ違っていたと思います。

こんなに抑圧がたまり続けてもよく私は平気だなと変に自分を褒めることもありました、やけくそ気味ですが・・・。
叱ると息子は心をすぐ閉ざし、全く反応がなくなります。暖簾に腕押しでは気力も使い果たしてしまいました。
ずっとこのころ、私と息子は堂々巡りを繰り返していたのです。

視野が狭くなると解決をますます遠のかせてしまいます。
こういう時こそ、一呼吸も二呼吸もおいて、冷静に客観的に対応して下さい。
母親がパニックになると、子供の心は引き裂かれます。罪悪感を感じるからです。彼らもちゃんと感じて生きているんです。

○ 完全にパニック障害(過呼吸と息苦しさ、パニックの予期不安状態)に

あるとき、私は今までにない過呼吸に陥りました。家事をやっているとき、苦しいな、と思い始めた途端、最悪の過呼吸が襲ってきたのです。
あまりのことに私は死の恐怖に支配されました。。
パニックがますます過呼吸を助長して、救急車を呼びました。

息子は部屋から出てきません。そのときどんな気持ちでいたんだろう。気づいていたのか? 怯えていたのか? 無反応だったのか? 助けようとする気持ちはなかったの? 
結局、病院では異常はないといわれ、行きつけの精神科の先生にパニック障害と言われました。
その薬ももらうようになり、あまり頼ってはいけない薬の副作用の恐怖に怯えながらも、依存し始めました。

息子を支える立場でありながら、精神的にも肉体的も私のほうが先にダウンしてしまったのです。パニック症がの苦しさと言ったらありません。何をするにしてもパニック発作が起きるんではないかという不安に襲われました。息苦しさを感じ、それがずっと続くのです。吐き気もし、体が悲鳴を上げました。毎日毎分が苦しく、逃れたくても私が起きている間中、私を不安と恐怖で苦しめるのです。そして過呼吸になった時の死の恐怖と苦しさ、また過呼吸になったらどうしようという予期不安、安楽な場所がなくなったという絶望感、全然進展のない子供の問題・・・・・未来はありませんでした。

○ 息子の危険な兆候

あるとき、息子のいとこが息子を外出に連れ出してくれました。私の妹の息子で、息子と昔から仲が良く、いい兄貴分といった感じでした。
久々の息子の外出でホッとしましたが、あとでいとこの子から衝撃的なことを入れました。

息子がナイフをもっているということです。いとこが見つけてそれを取り上げようとしたけれど、息子は絶対手放そうとしなかったそうです。
それを聞いて私は末恐ろしくなりました。いつ手に入れたんだろうと思いました。
「ある一線」の恐怖はそのとき以来ますます大きくなりました。ナイフを私は取り上げましたが、得体の知れない恐怖感は消えませんでした。
今となっては、自己防衛のために持っていて、外への攻撃のために持っていたのではないと思いますが、それがいつ暴発するとも限りません。
そのときナイフがあったら・・・社会面で報道される事件になるのは間違いないでしょう。

パニック障害により外出も非常にしんどくなりました。それでも歯を食いしばり必死で家事をこなしました。何とかだましだまし生き抜いていたのです。これ以上耐えられないというほど私は耐え続けていました。この状態が続けば当然うつ病になります。私の心も体も脳もすべてガタが来ていました。私の楽しかった青春時代は一体何だったんだろう? 

この苦しみがあるから、神様が私に情けを与えて楽しませてくれたのかもしれない。そしてパニック障害とうつ病と不登校問題で苦しむのが、本当の私の人生なんだと考えると、ますます症状が悪化していきました。

<まだまだ続きます>

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子供のひきこもりや不登校問題を抱える親たちの体験談
自身のパニック障害やうつ病やノイローゼや自律神経失調症で苦しんだ方のリンク集です
どれも貴重な克服体験談です
参考になることばかりですので、ぜひ目を通してみてください

(^o^)/ 不登校プログラム(不登校/ひきこもり克服プログラム・親子関係悩み解消・不登校親支援プログラム) オフィシャルサイト

岩波先生の親向けの不登校問題解決のためのプログラム(子供が受けるプログラムは完全に締め切っています)
親が変わることで子供に良い影響を与えるプログラムしかありません。
しかしどれも岩波先生の根本から問題解決できる腕があるため、子供のためにも、親の人生のためにもプラスにならないはずがありません!

(^o^)/ 不登校/ひきこもり克服プログラム(親子関係悩み解消・不登校親支援プログラム)関連サイトを集めたリンク集

(^o^) 不倒翁(おきあがりこぼし)うつからの再生
男性の鬱病とノイローゼの経験談です。うつ病に陥っていく苦しみと克服への家庭を書いています。是非訪れてください。


(^o^) 不登校・ひきこもりと家庭崩壊の危機と克服体験
タカシといいます。私の子供のひきこもり・不登校問題で家庭が崩壊する危機を迎えていく惨状とこちらの方と同じく岩波先生のおかげで助かったことなど


(^o^) ひきこもり・社会的不登校の親 過去・現在・未来
昔掲載していたブログと今の心境のブログ(ひきこもり・社会的不登校問題、抑うつ、不眠症など)を同時に掲載しています。お子さんも神経症から脱出し、一生懸命働いているようです。よかった。


(^o^) 不登校・ひきこもり克服 保護者の集い
不登校問題とひきこもり問題を克服させることができた親が集って管理しているサイトです。ぜひ訪れてください(マツナミ)


(^o^) アベルの不登校漂流および脱出記
アベルといいます。僕の中学高校の不登校やひきこもりのつらさや心境、漂流記録です。また脱出記もありますので、併せてどうぞ


(^o^) プレミアセラピー体験記と鬱とパニックの手記
会社経営者の方の突然のうつ病とパニック障害におちいったことの手記。そして岩波先生の神経症克服プログラムとの出会い(まざーぴえろ)


(^o^) 肉親から見た不登校・引きこもり・リストカット そして神経症
タイトルの通りの内容です。ご夫婦が子供たちの心の問題(神経症的不登校やリストカット)に心を砕き、見事立ち直らせた記録があります


(^o^) アメ子's 海外転校不登校体験記
アメ子さんの中学生の子供の不登校体験記。親は子供にどう向き合うべきか、体験記、不登校/ひきこもり克服プログラムの感想など(まざーぴえろ)


(^o^) 日本一の不登校・ひきこもり情報サイト
ひきこもりや不登校の体験記、関連サイトを集めた総合サイト

(^o^) AC内科医の自律神経健康ブログ 精神的ストレスによる病気の治し方


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家族の鬱病治った体験談
    うつ病になった息子さんの闘病克服の記録


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パニプニ! パニック障害克服ブログ
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海外うつ病生活からの治療回復

    海外でストレスの末うつ病になり、海外から先生のプログラムを受けた方の体験談


岩波英知先生の神経症克服プログラム・不登校・ひきこもり克服プログラム関連サイト集
岩波先生の不登校・ひきこもり克服プログラムや神経症克服プログラムの体験記
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