○ 精神科と薬物療法
鬱病になっていた私は必死でやっていた家事もままならなくなり、夫に叱られた。平手打ちを食らわせられたこともあります。たるんでると言われました。
お前は息子に何も言う資格はないとも言われたその言葉は私の心を大きくえぐりました。
精一杯頑張ったからこうなってしまったんだ、そう言い返したかったけれど、そんな元気は残っていなかった。うつ病は私の気力まで奪い去っていたのでした。ただただ耐えるだけの人生・・・・・
私が通っていた精神科の医者に見切りをつけ、違うところに通い始めました。人間的に嫌いだったからです。こんな精神科医の先生に任せられないという不信感がありました。
医者(というよりも精神医学界)全体に不信感を持ち始めたのもこのころでした。次に通った医者は、子供の不登校問題、ひきこもり問題が解決しない限り、うつ病もパニック障害も治らないときっぱりと言われました。
ただ薬を出してまぎらわせるしか道はありませんでした。パニック障害とうつ病にすごく効果がある薬と言われ、それを服用していました。
○ 子供に向精神薬、抗うつ薬を飲ませるのは反対
医者は息子に抗うつ剤を飲ませることも考えた方がいいと言われました。中学生に抗うつ剤を飲ませたらどうなるんだろうと私は恐ろしくなりました。私自身飲んでいたため、その薬の強さと副作用も知っていたためです。 あのだるさや眠気、思考能力の低下が息子も味わうことになるのだろうか? それとも運良く効くのか。
でも薬を飲ませることは思いとどまりました。この判断はすごく良かったと思います。インフルエンザの薬で中学生以下に飲ませてはいけない薬があるように(錯乱してしまうため)、もっと強い抗うつ剤では、かなり心身ともに負担をかけるだろうと思ったからです。 薬は対症療法で、問題の解決を先延ばしにするだけだったため、私の判断は正しかったと経験上思います。
向精神薬というものは、風邪薬などの肉体的な病気の薬と一緒にしたらいけません。そして精神科は内科・胃腸科、外科などといった一般的な病院とは、全く一線を画するものです。別物だと思ったほうがいいです。お医者さんが出すから安全だということは、このことに関してはないのです(私個人の感想です、あしからず)
○ うつ病悪化とパニック障害の狂いそうな苦しみ、世間の眼
子供の不登校からのひきこもり問題だけでも苦しいのに、うつ病という苦しさ、過呼吸、パニック障害という苦しさも単体で私を襲いました。
落ち込み、パニック発作への未来への恐怖が加わり、夫のプレッシャー、近所からの見下しの眼、憐れみの眼、同情の眼もあり、逃げ場がなかったです。子供のためにも何とかうつ病から脱しようと思いましたが、どうしても気持ちがついてきません(だからうつ病なのですが)
このときが一番苦しかったです。
近所の主婦たちも私のしつけの失敗を暗に匂わせたり、私も人間不信に陥ってしまいました。息子と同じ状況になりました。
でも結局原因は息子なのだ・・・・。死のうと何度思ったことでしょう。
自分自身の心理的問題であるパニック障害もうつ病も治らない。息子も神経症もこれじゃあ治るわけがない、その考えに支配されました。
○ 合宿形式の不登校児受け入れ施設
あきれ果てた夫が私を別の精神科に連れていきました。うつ病患者の気持ちがよくわかってくれる方で、まだいい医者でした。たまたま効いたのか抗うつ剤を飲んで死にたい衝動も少なくなりました。
と同時にアドバイスを受けて、子供を合宿形式の不登校支援施設(フリースクール)に預けた方がいいと言われました。
もう私がいっぱいいっぱいだった。
何でそれを考えなかったんだろうと思った(たぶん息子を手放してはいけないという私のきまじめな感情があったのです)。
いいアイデアだと喜びの感情が久々に芽生えました。長野県の山奥にある全寮制の不登校受け入れ施設で、少なくとも数ヶ月は息子と別れられる。
施設の人が息子を連れて行ってくれた後は久々に私に平穏が訪れました。ちょっと一息つけたのか私のうつ病もパニック障害の発作度合いもだいぶ回復していきました。
ただし過呼吸だけは良くなりません。過換気症候群といって、癖になっていたのです。
とにかく家に平和が訪れた、つかの間の……
○ 再びうつ病が悪化、過呼吸もひどくなり、パニック障害も強くなる
3ヶ月目の時、私のうつ病もパニック障害も一気に重くなりました。それまでせき止めていた物が、崩れ去ったような感じ。
ありがたいことに遠くに住んでいた妹が助けに来てくれました。この妹がいなかったら、私の人生はなかったと思います。
でも哀しいことに『遠くにいる親戚』だった。結局は私一人の孤独な闘いなのです。
「でも、なんでうつ病もパニックも悪化したの?」と私は不思議でした。息子は今家にいないのに・・・・。
今思うと、「息子がいなくなって良かった」と思っていたことへの疑問が生まれたときに一気に落ち込んでしまいました。
そんなことを思っていいのかしら? 罪の意識にさいなまれたときだから、間違いありません。
ますます死にたくなってしまいました。でも、私がいなくなれば、あの子はどうなるの? 責任感だけが私の生への命綱でした。
私も生真面目すぎて、うつ病になって当然だったように思えました。思い詰めてしまうのは子供も私も全く同じです。
○ 新しい展開、やっと出会えた人
施設での預かり期間も終わってしまいました。それ以上預けていても、息子は変わらないし、私も精神状態も良くならないままだったから結局は良かったことだと思います。
でも、またあの地獄が待っていると思うと希望なんかなかったです。
延長を希望しようとしても、他の待っている不登校問題を抱える子供たちがいるから不可能だったし。
息子の様子はたくましくなったところもありました。でも根本的に生きることへの自信の喪失と絶望感は変わっていませんでした。
精神的な問題の根深さを改めて思い知りました。
施設側も精一杯努力してくれました。 ただ心理面でのバックアップに関しては、やっぱり専門家に及ばないところもあったでしょう。
そこの施設のカウンセラーに私は泣きながら言いました。「誰かいい人を紹介してください!」。いい答えは期待していなかったけれど、カウンセラーの方はツテをたどってある人を紹介してくれた。これはそのカウンセラーが個人的にしてくれて、ほんとうにありがたいことでした(知り合いの知り合いだそうです)。
紹介された先生の名前は岩波先生という心理・脳内コンサルタントで、岩波先生との出会いが、母子の未来を明るくするきっかけになりました。
天才・鬼才と絶賛されている方です。何が天才・鬼才なのかというと、人間の脳内深く、いわゆる無意識・潜在意識からの問題解決の能力とその技術を開発しているからです。
岩波先生のプログラムには、地位の高い方や海外から大勢やってくるほどの人気と評判の高さがあります。私が読んで感動した書籍も出しています。
藁をもつかむ感じで、でも希望を感じつつ、そしてやっぱり不安になりながらも、岩波先生と電話で話しました。(まずは親向け岩波の言葉・講演集をお読みください)
その前に息子のことを書かなければなりません。不登校・ひきこもり支援施設に数ヶ月間入れられたことを怒っていたと思います。言葉では出さないけれど明らかにわかりました。少しはたくましくなれたかな、と思う以上に、いや遙かに心を閉ざしてしまったことの方が大きかったです。つまり失敗でした。
<まだまだ続きます。あと一歩です>
(NEXT)岩波先生の不登校/ひきこもり克服プログラム 神経症克服プログラムを受けて
コメント