自分の子供が怖い、わからない…

息子が怖かった。あのひきこもりに一家が悩んでいたとき、何かしでかしてしまうんじゃないか? 私や夫に刃が向くんじゃないか? 精神が狂ってしまうんじゃないか? 常に怯えていました。その恐怖に加えて、私自身が抑鬱状態になり、心がやられてしまうという恐れもありました。
いつまで経っても解決しない息子の問題、私のノイローゼも次第にひどくなり、交感神経優位になったのか過呼吸も始まりました。
息苦しさや倦怠感、めまいもひどく、将来のことを考えても憂鬱なことばかりでした。
このままうつ病になってしまうのではないかと怯えてもいました。

息子の不登校と心の問題によって、身も心もぼろぼろになってしまい、一家心中、もしくは母子で死ぬしかないとまで思い詰めたこともありました。それが一番の幸せだと思うほどでした。
いま思い返してもかなりの修羅場だったと思います。
親子といえども、愛情の歯車が狂うとそこまで追いつめられてしまいますので、お読みになっている方々もくれぐれもご注意下さい。

また私はパニック障害とうつ病になりました。もともとそうなってしまうベースがあったと思いますが、息子の尽きることのない不登校の問題と出口が見えない状況の中で、息子以上に私がノイローゼとなってしまいました。息子が頼れるのは母親になります。先にうつ病でダウンなさらないように、ご自身の心身を維持管理してください。茨の道ですが、やらなければならないことです。

親が、特に母親が潰れてしまったら、誰が子供のことを気遣ってやれるのでしょうか?(気遣いすぎも逆効果ですが) 私がうつ病で身動きが取れなくなったら、子供はさらに精神を病んでいくでしょう。そうなったらいつか一人で生きなければならない時それも不可能となって、親の世話になってしまいます。
そうなったら、その一家に明るい生活が到来するのでしょうか?

○息子の不登校状況と夫婦の諍い

ずっと愛をもって育ててきましたが、息子はその気持ちを受け取ってくれたかは不明でした。
夫、つまり息子の父親と息子は傍目で見ていてもそりが合わず、息子の方から話しかけることはありませんでした。
父子とはそういうものかなと思っていたんですが(私にはべったりの甘えん坊でした)、学校でも他人とはうち解けられなく、浮いた存在だったそうです。
仲の良い友達とはよく話しもするし、子供らしい面を見せますが、大人にはかなりの警戒感を持っていたようです。

夫と私も実はずっと仲が良くなく、激しく口げんかをするということもありました。夫婦仲は険悪でしたから、私には誰も頼れる人がいませんでした。その孤独も辛かったです。
私がヒステリーを起こして、夫が暴力で返し、私がさらに気が狂ったようにやり返すということも幼い息子に大きな影響を与えたとおもうと後悔しています。夫婦仲の諍いは確実に子供の心を病ませていきます。
子供に刃が向かなくても、父親と母親がいがみ合っていたら、子供は自分を存在肯定できませんから。自分にどうやって自信をもてと教えら得るのでしょうか?


○学校のいじめや人間関係で傷つき登校拒否になる

直接的に息子が登校拒否になったのは中学一年生の時のいじめでした。もともと周囲となじめない存在のようでしたが、人間全体に対して不信感を持つようになっていました。あとは仲を良くしてくれたB君が傷ついたことを言ったことと、息子の感情を無視した担任の無責任さが決定打となりました。
そして自力での回復不能にまで傷ついて、グロッキー状態になってしまいました。
今思えば人間不信にならないわけがないですし、家庭状況と学校の両方の板挟みになって、心が荒れたりうつ状態になってしまうのはしょうがないことでした。

そんな時私は精神的に支えてやれませんでした。私を心配させないように気を使ったのか、はっきりと言ってくれませんでした。しかし今思い返すと、しっかりとサインを出していたと思います。
私自身も余裕がありませんでした。息子のことは気にかけていましたが、私も精神的にストレスが多い状況でした。私の生きづらさが子供の心を病ませていたことも間違いありません。

○子供を登校させる苦労と精神的ストレスの付与

息子の不登校に対して、夫は時間が解決するようなことを言って、たかをくくっていました。
その無責任さに腹が立ったとともに、なんとかして息子に遅れをとらせてはいけないと学校に通わせ続けました。ここで休むという蜜の味を知ったら、とても社会に出てやっていかないと思いました。勉強だけはさせておかないと潰しが効かないまま、社会不適合者になる可能性が高かったからです。

心を鬼にして叱ったり、家に入れない、といって嫌がる息子を朝送り出すことは重労働でたまらなかった。
朝の登校戦争が終わると、ぐったりしてもう家事も何もできなくなりましたが、そのあともっとひどい憂鬱になるとはそのときは考えもしませんでした。私のうつ病の兆候も過呼吸や息苦しさというパニック障害の前段階も始まっていたのです。

子供には過度のストレスの負荷をかけてしまいました。子供は精一杯戦っていたのです。一人で孤独に。しかし私達にはしっかり学校にめげずに通うことが、最大の正義であり愛情だと思っていました。あとできっと感謝されるとすら思っていました。しかし神経症状態だった子供が、生きたくなくてただサボっていたわけではなく、ギリギリいっぱいだったとは浅はかな知恵しかない母親でした。


○私のうつ病の前段階:抑うつ状態の兆候

生きるのがしんどいと感じ始めました。夫婦仲の悪さや息子の不登校問題のせいで・・・・自分の問題じゃないだけにどうにもしてやることができず、私は自分の無力感を呪いました。こんなに人の心を変えるって難しいんだと思い知りました。
息子は学校から帰ってくるとすぐ部屋に閉じこもるようになり、夜9時の晩ご飯まで降りてきませんでした。

溝が生まれたと感じつつも、翌朝からはまた同じ戦争の繰り返し。
息子の学校に行きたくない言い訳に腹が立ちつつ(腹痛だとか、今日は学校が休みという嘘など)そのあとは疲れがどっと押し寄せる日々。
夫は私の苦しみを全くわかろうとせず、家事がおろそかになっているのを見て叱りつける。
離婚を決意しつつも今夫と別れたらこの子をどうやって育てようかお先真っ暗状態でした。

感情の抑圧がたまり、鬱憤がたまり、誰にも相談できず、はけ口すら見つけ出せず、このころから体のだるさが出始めました。うつ病や神経症の初期段階だったと思います。
抑うつ状態も徐々に始まりました。まだそのころは抗うつ剤、精神安定剤には頼っていませんでしたが、得体の知れない私の心の疲れにも不安を覚える日々を送っていました。もうこの頃には自律神経系が壊れていたのだと思います。パニック障害にもなってしまうのは時間の問題でした。

ノイローゼになると、ますます子供の精神状態まで気を回せる余裕がなくなります。そしてさらに子供が殻に閉じこもる構図に入りました。多くの家庭で起こる流れです。

○母子そろってサザエさん症候群に、過呼吸というパニック障害の兆候も

金曜日(学校から帰った後)や土曜日は息子は元気ではないものの、ホッとしたところがあるようでした。
でも月曜日が翌日に控える日曜日(特に暗くなる頃)から急激に心がふさぎ始めました。
サザエさん症候群というものを遙かに強くしたものといったら、理解できる方もいると思います。

私も金曜日の午後から土曜日は気分が良かったです。
日曜日になると明日の朝のことを考え憂鬱でした。
私も立派なサザエさん症候群でした。

すべてを捨てて一人でいたい、しかしそれは絶対に許されない状況で私のノイローゼは次第に悪化していきます。
過呼吸も始まりました。パニック障害の兆候です。息苦しさ、動悸、めまいもあり、ただ生きているだけでひどい苦しみようでした。


○子供の不登校がついに完全に始まる

ついに私が先に根負けしました。息子の不登校が完全に決定されました。
なんでそこまで中学校に行きたくないのか聞いてみても息子はうんともすんとも応えません。
学校の話題になると急にふさぎ込みました。そうなると私にはもうどうにもできません。心をシャットダウンしてしまうのです。

それ以外では私に甘え、いつもべったりでした。よく話もするのに、どうしてこの子が?と不思議に思いました。
ほっんと人間の心は複雑怪奇ですね。
それに日々の精神的な疲れで、相手の心を思いやり汲み取る余裕もなかったので、ますます息子の心がわからなくなってしまいました。

○子供の不登校でスクールカウンセラーに相談

スクールカウンセラーに息子を連れて相談しに行きました。そのときに表面的ですが学校に行きたくない理由がわかりました。
私だってそういう時があったし、対人関係のいざこざはありました。でもそれでも学校に通ったし、それなりに楽しかったです。

苦しいことばかり避けていては、絶対いい思いは出来ないと思います。それは私の信念でしたし、当然息子にもわかってもらいたかった。
でも私の力不足でできなかったことに後悔をしました。息子は自分の未来をどう考えているのか? 腹が立ったり、むなしくなったり、情けなく思いました。


○不登校の原因の一つとなった担任について

中学一年生の担任がよく不登校中の息子を訪れました。熱心でとても親切だったが、息子は苦手にしていました。
担任が訪れる玄関のチャイムが鳴ると部屋に閉じこもってしまうのです。あんないい先生なのに何で? 不思議にも思いましたが、理由を知ったのはかなり後です。

いつか息子が話してくれたことがあります。「あの先生は自分のためにやっている」と。そのときはわかりませんでしたが、自分のクラスから不登校児が出るのが嫌で、こうして家に押しかけているんだという意味です。
自分だけのエゴイズムで動いている、ということを息子は言っていたのです。表面上、そうやって家庭を訪問することで、熱心なすばらしい先生というレッテルを貼りたいんだと。

その担任は自分勝手な論理を振りかざし、私も次第に嫌いになっていきました。私は彼に怒られました。
私のせいだと暗に言われ、それがある部分では当たっていることで、私は何にも反論できず、悔しい思いをしました。あんなに腹が立ったときはありませんでした。
「あなたが担任である以上、こちらから学校に通わせません」と言いました。それを息子は閉じこもっている部屋で聞いていました。私を見直したそうです。

それならチャンスは中学2年生にあがるとき、と思いました。(当時その担任が息子にひどい言葉を放ったことは私は知りませんでしたし、息子も言おうとはしませんでした)

<まだまだ続きます。ここまでお読みいただきありがとうございます>

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